創作小説 「意味」
ついに人類が半地球規模の爆弾を開発した頃、世界には二つの大国があった。北の国と南の国。常にいがみ合い領地を争奪する両国に、他の国々は怯えながら生活していた。
少年もそんな周辺国に住む一人である。といっても、大人たちほど世の中には関心がなかったので自由気ままに毎日を過ごしていた。彼にとってはそんなニュースを見聞きするより、アニメやバラエティ番組で腹を抱えて笑うことのほうが大切だったのだ。
しかし、その日の夕食時は少年も屈服せざるを得なかった。アニメの途中でテレビが臨時ニュースに切り替わったのである。
「たった今、総理が握手を交わしました。これで我が国も北国同盟に加盟、今後は加盟国と協力して自衛を進める構えとなります」
興奮した様子のリポーターが映り、父は眉根を寄せた。複雑な顔をしている母に、少年は文句を垂れる。
「あーあ、今日最終回だったのに」
「いいからちゃんと聞いておきなさい」
耳に流し入れてみても内容はさっぱり分からない。分からないが、北国といえばあの大きな国だ。心強い仲間ができたのだから喜べばいいのに、と少年は当時不思議に思ったものである。
それから、少年の知っている男たちが消えていくまでに長い時間はかからなかった。
初めは何となく感じる程度だったのだ。近所の真面目な青年の姿を見かけなくなり、そういえば何人かしばらく会っていない男の知り合いがいると気がつき、父までいなくなった。やがて担任が女教師に交代し、交通整備や工事現場にまで女性のほうが目立ち、電車からもバスからも男臭さがなくなっていった。
少年とて原因も察せられないほど阿呆ではない。近頃南国派の隣国と関係が悪化している、というのはテレビも学校も伝えていた。風に乗って国境での爆撃音が聞こえてきたこともある。
「必ず誰かと一緒に登下校しなさい。敵兵が近くにいないとは限らないから」
母は口を酸っぱくしてそう言うようになった。その他にも小言が増えた。ヒステリー気味の母は嫌だったが、少年は父が帰ってくるまでの我慢と大人しくしていることにした。
それにしても、たまには戻って来てくれたっていいはずだ。少年の国はそう大きくない。まして国境など目と鼻の先である。国のため戦う人には休みすらないのか、と素朴な疑問を口にした時、母は静かに告げた。
「あのね、お父さんはこの国で戦ってる訳じゃないのよ」
予想外の言葉は酷く冷たく響く。さっきまで美味しかったはずのスープが、突然少年の舌に味を与えなくなった。
「国境で戦っている人の中には他所の軍人さんもいるの。この国が北国派のみんなに守ってもらえるんだから、北国派の他の国が苦しんでいたら私たちの国も助けに行かなきゃいけないでしょう?」
確かに道理は母の言う通りかもしれない。けれども、少年は納得できなかった。すぐ傍にいると思っていた父が遠くにいるという事実は受け止め難かったのである。
そんなのおかしい。どうして父が、見ず知らずのよその国のために傷を負わなければならないのか。絶対におかしい、嫌だ、嫌だと駄々をこねているうちに、二つの大国は勝手に世界戦争を始めて、少年にも出征の命令が下った。
もはや年齢を考慮してくれるほど国は甘くない。少年は島国へ向かわされ、銃を持たされた。透き通る青い海と空、色鮮やかな花と甘い実をつけた木々のある島で、少年は鬱蒼とした林に隠れ、息を殺し、人を撃たねばならなかった。来る日も来る日も血を見て、気が狂いそうになってきたある晩、世界はあっけなく終末を迎えた。
夜空をカッと真昼の如く染めた光。それがあの半地球規模爆弾で、二大国が同時に相手側へ放ったことを、少年は後から知った。
目覚めると、辺りの風景は一変していた。樹木は倒れ、敵も味方も潜む場所などなくなっている。そもそも身動きする人はおらず、確かめてみれば誰一人として呼吸がなかった。痛む全身を引きずって町へ足を進めると、そこは瓦礫の山と成り果てていて、同じく声も音もない。
完全な静寂と孤独。普段なら発狂していただろうが、少年にそんな力は残っていなかった。ただ、これで何もかも終わった、という安心感と虚無感が少年を眠りへ誘おうとしていた。
その時である。ガラリ、という物音で少年は反射的に身構えた。
瓦礫をかき分け、銃を手に近づいてくる少女。女の兵士もいたのかと驚きつつ、こちらも銃弾を込めようとする。しかし、爆弾を受けた衝撃で落としたらしくポケットは空だ。
やむをえず両手を挙げると、少女はキッと瞳を鋭くして怒鳴りつけてきた。
「戦いなさいよ!なんで、なんで、だって仲間皆殺しにするぐらい、私の国が憎いんでしょう!嫌いなんでしょう!だったら私も殺すぐらいの気持ちでかかってきなさいよ!」
途中から涙交じりの言葉は、異国風に訛ってはいたが辛うじて理解できた。案外故郷と近い国の出身なのかもしれない。もし普通に旅行でもして出会っていたら、殺し合いなんて絶対にしなかっただろう。そんなとりとめもない考えの続きを、少年は自然と口走っていた。
「憎くも嫌いでもないよ。君こそ、何のために僕を撃つの?僕は君の命を奪うつもりないし、ここは君の国でもないし、もう戦争は終わったのに」
「何のためって……」
黙り込む少女の背後から、朝日が差し込んでくる。昨日と同じように照らされる、死骸だらけの灰色の世界。来た道を振り返り、よくよく頭を回してから少女は銃を捨てた。
「何のためだろうね」
少年もそんな周辺国に住む一人である。といっても、大人たちほど世の中には関心がなかったので自由気ままに毎日を過ごしていた。彼にとってはそんなニュースを見聞きするより、アニメやバラエティ番組で腹を抱えて笑うことのほうが大切だったのだ。
しかし、その日の夕食時は少年も屈服せざるを得なかった。アニメの途中でテレビが臨時ニュースに切り替わったのである。
「たった今、総理が握手を交わしました。これで我が国も北国同盟に加盟、今後は加盟国と協力して自衛を進める構えとなります」
興奮した様子のリポーターが映り、父は眉根を寄せた。複雑な顔をしている母に、少年は文句を垂れる。
「あーあ、今日最終回だったのに」
「いいからちゃんと聞いておきなさい」
耳に流し入れてみても内容はさっぱり分からない。分からないが、北国といえばあの大きな国だ。心強い仲間ができたのだから喜べばいいのに、と少年は当時不思議に思ったものである。
それから、少年の知っている男たちが消えていくまでに長い時間はかからなかった。
初めは何となく感じる程度だったのだ。近所の真面目な青年の姿を見かけなくなり、そういえば何人かしばらく会っていない男の知り合いがいると気がつき、父までいなくなった。やがて担任が女教師に交代し、交通整備や工事現場にまで女性のほうが目立ち、電車からもバスからも男臭さがなくなっていった。
少年とて原因も察せられないほど阿呆ではない。近頃南国派の隣国と関係が悪化している、というのはテレビも学校も伝えていた。風に乗って国境での爆撃音が聞こえてきたこともある。
「必ず誰かと一緒に登下校しなさい。敵兵が近くにいないとは限らないから」
母は口を酸っぱくしてそう言うようになった。その他にも小言が増えた。ヒステリー気味の母は嫌だったが、少年は父が帰ってくるまでの我慢と大人しくしていることにした。
それにしても、たまには戻って来てくれたっていいはずだ。少年の国はそう大きくない。まして国境など目と鼻の先である。国のため戦う人には休みすらないのか、と素朴な疑問を口にした時、母は静かに告げた。
「あのね、お父さんはこの国で戦ってる訳じゃないのよ」
予想外の言葉は酷く冷たく響く。さっきまで美味しかったはずのスープが、突然少年の舌に味を与えなくなった。
「国境で戦っている人の中には他所の軍人さんもいるの。この国が北国派のみんなに守ってもらえるんだから、北国派の他の国が苦しんでいたら私たちの国も助けに行かなきゃいけないでしょう?」
確かに道理は母の言う通りかもしれない。けれども、少年は納得できなかった。すぐ傍にいると思っていた父が遠くにいるという事実は受け止め難かったのである。
そんなのおかしい。どうして父が、見ず知らずのよその国のために傷を負わなければならないのか。絶対におかしい、嫌だ、嫌だと駄々をこねているうちに、二つの大国は勝手に世界戦争を始めて、少年にも出征の命令が下った。
もはや年齢を考慮してくれるほど国は甘くない。少年は島国へ向かわされ、銃を持たされた。透き通る青い海と空、色鮮やかな花と甘い実をつけた木々のある島で、少年は鬱蒼とした林に隠れ、息を殺し、人を撃たねばならなかった。来る日も来る日も血を見て、気が狂いそうになってきたある晩、世界はあっけなく終末を迎えた。
夜空をカッと真昼の如く染めた光。それがあの半地球規模爆弾で、二大国が同時に相手側へ放ったことを、少年は後から知った。
目覚めると、辺りの風景は一変していた。樹木は倒れ、敵も味方も潜む場所などなくなっている。そもそも身動きする人はおらず、確かめてみれば誰一人として呼吸がなかった。痛む全身を引きずって町へ足を進めると、そこは瓦礫の山と成り果てていて、同じく声も音もない。
完全な静寂と孤独。普段なら発狂していただろうが、少年にそんな力は残っていなかった。ただ、これで何もかも終わった、という安心感と虚無感が少年を眠りへ誘おうとしていた。
その時である。ガラリ、という物音で少年は反射的に身構えた。
瓦礫をかき分け、銃を手に近づいてくる少女。女の兵士もいたのかと驚きつつ、こちらも銃弾を込めようとする。しかし、爆弾を受けた衝撃で落としたらしくポケットは空だ。
やむをえず両手を挙げると、少女はキッと瞳を鋭くして怒鳴りつけてきた。
「戦いなさいよ!なんで、なんで、だって仲間皆殺しにするぐらい、私の国が憎いんでしょう!嫌いなんでしょう!だったら私も殺すぐらいの気持ちでかかってきなさいよ!」
途中から涙交じりの言葉は、異国風に訛ってはいたが辛うじて理解できた。案外故郷と近い国の出身なのかもしれない。もし普通に旅行でもして出会っていたら、殺し合いなんて絶対にしなかっただろう。そんなとりとめもない考えの続きを、少年は自然と口走っていた。
「憎くも嫌いでもないよ。君こそ、何のために僕を撃つの?僕は君の命を奪うつもりないし、ここは君の国でもないし、もう戦争は終わったのに」
「何のためって……」
黙り込む少女の背後から、朝日が差し込んでくる。昨日と同じように照らされる、死骸だらけの灰色の世界。来た道を振り返り、よくよく頭を回してから少女は銃を捨てた。
「何のためだろうね」